記念写真と一口に言っても今はスマホで簡易的に撮るものから写真館できっちり撮るものまで様々です。
私は父の代から写真館を引き継ぐプロカメラマンでもあり、アルバムデザイン・画像編集のプロでもあります。
その立場から日ごろ「本当に価値のある記念写真とは」というテーマについて考えているのですが、一つはっきりしていることがあります。
それがタイトルにもある「記念写真に正解はないが間違いはある」ということです。
一見矛盾したタイトルのように思えると思いますがこの時点で私の言いたいことがなんとなくでもわかる方いますでしょうか?
興味がおありの方はそんなに長く書くつもりはないので軽く目を通していただけると嬉しいです。
記念写真の「正解」とは?
冒頭にも述べたように記念写真はすごく多様化しています。
写真館・フォトスタジオによっても全然違います。
ではどこでどのようにして撮るのが正解なのでしょうか?
スタンダードな写真館できっちり撮る。
ロケ撮影で思い出とともにスナップ的に撮る。
チェーンの写真館でコスプレして撮る。
自分たちで撮影する。
まあいろいろありますが結論から言うと全部正解です。
つまりなにが正解かなどという答えはないということ。
記念写真は1枚でも存在すれば大成功。
何かの記念に写真を撮って残そうという親の意思が存在したという証拠が一番の記念写真の価値だと思っています。
上にあげたようないろいろな記念写真がありますが、家族で選んで思うように撮影できたのならそれがそのご家族にとってのベストであり正解です。
その家族ごとに正解があってそれを選んだのが家族自身であれば問題ない。
どんな形であれ記念写真を撮って残したのであればそれはもう正解なのです。
数か月後、数年後に「やっぱりこの時はこうやって撮ればよかったね」とか「〇〇に行って撮ればよかったね」などと思うこともあるかもしれませんが撮影した当時の判断がすべてであり、その当時の家族の状況・考えだったのですからそれでいいのではと思います。
これが記念写真に正解はないということ。
間違った記念写真とは
記事タイトルの「記念写真に正解はないが間違いはある」という矛盾したタイトルを思い出してください。
「記念写真を一枚でも残していればそれは全部正解であれば間違いはないじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、間違いはあります。
どうやって撮るのが正解とかそんなものは結果としてはないけれど撮影する時点ではダメなことはあるということです。
何が間違いか。実はこれを一番言いたかったのですがそれはずばり
家族の意思が反映されない記念写真です。
記念写真とは誰かの何かについて残してあげたいという誰かの意思によって撮影されるものです。
写真とはプリントされたもの、つまり物質として存在するモノではありますが精神的な部分が大きく、プリントされたもの自体は思い出を呼び起こすカギのようなものです。
多くの場合は親が子のために撮影しますがそこには親から子への愛があり、写真はその愛の証とも言えます。
どこで何を着せてどのような写真を撮るか一生懸命考えてくれた写真には価値があります。
しかし
誰かに言われたから写真館にしぶしぶ撮りに行く
写真屋さんにすすめられるがまま撮影する
などの親の気持ちが何もない状態で撮影するのは間違いです。
先ほど写真は愛の証だと述べましたが愛のない記念写真は間違いです。
子供を思う気持ちがあるのであればちゃんと考えて撮影すべきです。
愛情もないのに撮影する人なんてほとんどいないのは承知しておりますが、よりよい撮影をして欲しいのでもう少しお付き合いください。
お店の接客でおすすめの高い衣装を着たり、好きでもないよくわからない撮影セットで撮影された写真は後で見返した時にどんな気持ちがわいてくるか想像すればわかると思います。
そのような写真は残念ながら割と多く存在します。
撮影すると決めたならよく考えて意味のある、価値のある写真を残すのに全力を尽くしましょう。
ここでまた「間違いがあるなら正解もあるはずじゃん」という声が聞こえてきそうですが、このような矛盾したタイトルにした理由もちゃんとありますので改めてお伝えしときますね。
撮影する段階では選択肢がたくさんありその都度判断が必要になります。
そこであれこれ考えて子供のために悩むのが親の愛であり撮れた写真は愛の証といえるということでしたがそれだけが正解なのでしょうか?
答えは、暴論に聞こえるかもしれませんが判断を間違えた記念写真もすべて正解です。
この世に記念写真として存在しているだけで価値があり、ない方がよかった写真など存在しないからです。
たとえ親があまり考えず、おかしな店で、おかしな衣装で、おかしなセットであまりいい表情で撮れてない写真だったとしても記念写真を撮るという判断してくれた親の気持ちがある以上、子供にとってはその記念写真には価値があります。
存在する時点で一生ものの家宝です。
残した記念写真はすべて正解不正解でジャッジすべきではないということです。
後悔しないで欲しいということです。
ああすればよかった、こうすればよかったなどと考える必要はありません。
そのようなことをすれば記念写真としての価値が一気に下がってしまうことでしょう。
大きくなってから写真をみたらそりゃあなんか言いたいことも一つや二つ出てくると思いますが、
どんな写真であろうと親に感謝すべきです。
時が経つにつれてどんどんわかってくると思います。
過去には二度と戻れないのですから記念写真が残っていること自体に感謝し、その時の状況がなんであろうと家宝として大切にいつまでも大事にしていただきたいです。